2021.10.07 国内知財情報
機能で特定した抗体の発明は、特許を受けることができるか?
1.はじめに
医薬に係る発明では、クレームにおける発明の特定方法が多岐にわたることから、どのような特定方法であれば特許をとることができるのかについて、さらに理解を含めることは有益であると考えられます。医薬に係る発明をどのように特定するかについては、記載要件(サポート要件、実施可能要件など)の充足との関係において特に重要となります。
例えば、抗体医薬の発明においては、実務上、記載要件との関係で、審査段階等で、抗体をその構造(CDR配列の特定、CDRを含んだ可変領域などのさらに広い領域の配列の特定)で特定することが求められるケースが多くみられます。一方で、抗体を機能で特定することにより、構造を特定しなくても登録に至っているケースも散見されています。
近年、機能によって特定した抗体の発明について、記載要件を満たすとの判断がなされた判例が出されました(平成31年(ネ)第10014号)。
本記事では、以下にてその判例の紹介をいたします。以下の詳細な説明を参照いただき、抗体の発明について最適な特定方法で権利化を図る際の参考としていただければ幸いです。
2.日本の特許法における主な記載要件
まず、はじめに、医薬発明においてよく拒絶理由として挙げられる実施可能要件及びサポート要件について、以下に概要を示します。
(1)実施可能要件(特許法第36条第4項第1号)
特許法第36条第4項第1号は、明細書の発明の詳細な説明は、請求項に係る発明について、当業者が実施できる程度に明確かつ十分に記載されていなければならない旨を規定しています。当業者が、明細書及び図面と出願時の技術常識とに基づいて請求項に係る発明を実施しようとした場合に、どのように実施するかを理解できない場合は、実施可能要件を満たさないことになります。また、どのようにすれば実施できるかを見いだすために、当業者に期待し得る程度を超える試行錯誤、複雑高度な実験等をする必要がある場合も、実施可能要件を満たさないことになります。
(2)サポート要件(特許法第36条第6項第1号)
特許法第36条第6項第1号は、請求項に係る発明が、明細書の発明の詳細な説明に記載した範囲を超えるものであってはならない旨を規定しています。サポート要件の判断にあたり、請求項に係る発明が、発明の詳細な説明において「発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載された範囲」を超えるものであるか否かが検討され、当該範囲を超えていると判断された場合は、特許請求の範囲の記載はサポート要件を満たしていないとされます。
3.判例紹介
本件発明は、抗体をその構造(アミノ酸配列)で特定することなく、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、参照抗体と競合する」という機能のみによって抗体を特定するものです。なお、参照抗体は、本件発明の出願人により同定された新規の抗体です。また、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和する機能を有する抗体自体は新規であるものの、PCSK9とLDLRとの結合を遮断する抗体の開発を示唆する文献が出願時に存在していました。
本件明細書には、本件発明の抗体が発明の効果を奏するメカニズムに関する記載、及び、本件発明の抗体を得るためのスクリーニング方法が記載されています。
メカニズムに関する記載としては、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し、参照抗体と競合する」抗体が、参照抗体と同様のメカニズムによって、対象中の血清コレステロールの低下をもたらすことが分かるような記載があります。具体的には、①PCSK9とLDLRとの結合を中和(遮断)する抗PCSK9モノクローナル抗体が得られたこと、②参照抗体が極めて良好にPCSK9とLDLRのEGFaドメインとの結合を遮断すること(実施例において結晶構造解析により示されている)、③PCSK9とLDLRのEGFaドメインとの結合を遮断する抗PCSK9抗体が、LDLRレベルを増加させ、このLDLRレベルの増加は、血清コレステロールレベルの減少に有効であること、④参照抗体と競合する抗体が得られること、⑤参照抗体と競合する抗体は、LDLRのEGFaドメインと相互作用するPCSK9上の小さな領域に結合するため、PCSK9とLDLRのEGFaドメインとの結合を抑制できること、などが記載されています。
スクリーニング方法に関する記載としては、免疫化マウスの作製、免疫化マウスを使用したハイブリドーマの作製、ハイブリドーマから産生された抗PCSK9抗体から、「参照抗体と競合する、LDLRへのPCSK9結合を遮断する抗体」を同定するためのスクリーニング(一次スクリーニング、大規模受容体リガンド遮断スクリーニングなど)、エピトープビニングアッセイ、及びスクリーニングにより同定された抗体の効果の評価方法など、本件抗体を得るまでの一連の流れが、当業者が追って実施可能なレベル(おおよそ論文のMaterials and Methodsレベル)で記載されています。実施例では、結晶構造解析の結果を示して、PCSK9上のLDLRへの結合ドメインの位置、当該結合ドメインに参照抗体が結合すること、参照抗体がPCSK9とLDLRとの結合を遮断すること等を詳細に記載しており、このような記載から、当業者は、PCSK9上の結合ドメイン又はその付近に結合する他の抗原結合分子を同定することによって、LDLRとPCSK9との結合を参照抗体と同様に中和することができる抗原結合分子を容易に同定することができる旨が記載されています。
<知的財産高等裁判所の判断>
(1)サポート要件について
知財高裁は、以下の理由から、本件発明はサポート要件を満たすと判示しました(筆者にて、判旨の一部を抜粋し、本記事の説明のために内容を要約しています)。
本件明細書の記載から、本件発明の課題は、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し、参照抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体」を提供することをもって、PCSK9とLDLRとの結合を中和し、LDLRの量を増加させることにより、対象中の血清コレステロールの低下をもたらす効果を奏し、高コレステロール血症などの上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療等することにあると理解することができる。また、本件明細書には、PCSK9に対する抗原結合タンパク質を産生するハイブリドーマの作製方法、及び、当該ハイブリドーマから得られる抗体から「参照抗体と競合し、PCSK9-LDLRとの結合を中和する抗体」を同定するためのスクリーニング及びエピトープビニングの方法が記載されている。当業者は、これらの記載に基づき、一連の手順を最初から繰り返し行うことによって、本件明細書に具体的に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも、参照抗体と競合する中和抗体を得ることができることを認識できるものと認められる。以上より、当業者は、本件明細書の記載から、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和し、参照抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体」を得ることができ、当該抗体を使用して、上昇したコレステロールレベルが関連する疾患を治療等するとの本件発明の課題を解決できることを認識できるものと認められるから、本件発明はサポート要件に適合する。
なお、本件発明は抗体の構造(アミノ酸配列)の特定がないことを指摘した控訴人の主張に対しては、「特定の結合特性を有する抗体を同定する過程において、アミノ酸配列が特定されていくことは技術常識であり、特定の結合特性を有する抗体を得るために、その抗体の構造(アミノ酸配列)をあらかじめ特定することが必須であるとは認められない」と判示されています。
(2)実施可能要件について
知財高裁は、以下の理由から、本件発明は実施可能要件を満たすと判示しました(筆者にて、判旨の一部を抜粋し、本記事の説明のために内容を要約しています)。
サポート要件の判断の際に述べたように、本件明細書の記載から、本件発明の抗体を作製し、使用することができるものと認められるから、本件明細書の発明の詳細な説明の記載は、当業者が本件各発明を実施することができる程度に明確かつ十分に記載したものであるということができる。したがって、本件発明は実施可能要件に適合する。
なお、本件発明は、抗体の構造を特定することなく機能的にのみ定義されており極めて広範な抗体を含むところ、当業者が、実施例に記載された抗体以外の、構造が特定されていない本件発明の範囲に含まれる抗体を取得するには、膨大な時間と労力、過度の試行錯誤を要するため、本件発明は実施可能要件を満たさないという控訴人の主張に対しては、次のように判示されています(筆者にて、判旨の一部を抜粋し、本記事の説明のために内容を要約しています)。
発明の詳細な説明の記載に、PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する、単離されたモノクローナル抗体の技術的思想を具体化した抗体を作ることができる程度の記載があれば、当業者は、その実施をすることが可能というべきであり、特許発明の技術的範囲に属し得るあらゆるアミノ酸配列の抗体を全て取得することができることまで記載されている必要はない。当業者は、本件明細書の記載に従って、本件明細書に記載された参照抗体と競合する中和抗体以外にも、本件特許の特許請求の範囲に含まれる参照抗体と競合する中和抗体を得ることができるのであるから、本件発明の技術的範囲に含まれる抗体を得るために、当業者に期待し得る程度を超える過度の試行錯誤を要するものとはいえない。
4.まとめ
本件で判示されたように、日本では、抗体を構造(アミノ酸配列)で特定することなく、機能で特定した場合であっても、明細書の記載によっては記載要件を充足すると判断される場合もあり、その場合、他の特許要件を満たす限りにおいて特許を取得できる可能性があります。本件判決の妥当性については様々な議論がなされていますが、本件明細書には、アミノ酸配列に関わらず、「PCSK9とLDLRタンパク質の結合を中和することができ、PCSK9との結合に関して、参照抗体と競合する」という機能を有する抗体が対象中の血清コレステロールの低下をもたらすと考えられるメカニズムについて、実験結果と共に詳細に説明されており、当該機能を有する抗体により発明の課題が解決されるという技術的思想が当業者に明らかとなるように記載されているようにもとらえられます。また、本件明細書には、当該機能を有する抗体を得るためのスクリーニング方法等について当業者が実施可能に記載されており、これはアミノ酸配列の開示の有無に関わらず実施できる方法です。本件判決から考えられることとしては、抗体を機能により特定する場合には、少なくとも、明細書において、アミノ酸配列に関わらず、機能で特定した抗体(一部の具体例のみではなく、当該機能を有する抗体全般)により、発明の課題が解決できることを当業者が認識できるように記載し、さらに、当該機能を有する抗体をアミノ酸配列の開示の有無に関わらず再現性高く得ることができる方法を記載する必要があるということです。
具体的な構造がまだ同定されていない場合や、構造で特定することを希望しない場合などに、抗体の機能で抗体を特定して特許出願することも検討する余地があると思われます。ただし、その際には、記載要件を充足するほどに明細書の内容を充実させておく必要があると考えられます(効果を奏するメカニズム、スクリーニング方法など)。また、仮にアミノ酸配列が既に分かっている場合は、記載要件を充足しないと認定された場合に補正できるよう、アミノ酸配列を明細書中に記載しておくことが好ましいと考えられます。
なお、抗体の発明における配列限定が必要な程度は三極により判断が異なるようです。我が国の最近の研究によると、配列限定することなく登録される傾向は、日本≒欧州>米国であるとの報告があります(「抗体医薬及び食品用途発明における近年の審査傾向とその国際比較」,パテント2020,Vol. 73,No. 6)。仮に、ある抗体医薬の発明について米国では抗体の構造(アミノ酸配列)で限定することを求められた場合であっても、日本においては、当該抗体を構造により限定しなくとも機能により限定することで登録に至る可能性もあると考えられるため、当該限定を選択肢の一つとしてご検討いただくとよいかと思います。
弁理士:辻 奈都子