2021.12.17 海外知財情報
米国の新規性喪失事由の1つである「販売」は秘密の販売を含むと解釈される
1.はじめに
米国特許法では、新規性喪失事由の1つとして「販売」が規定されており、その解釈については従来から議論されていました。
最近、Helsinn事件(Helsinn Healthcare S. A. v. Teva Pharmaceuticals USA, Inc., et al.)の最高裁判決において、「販売」は、発明について秘密を保持する義務を負う者に対して発明品を販売する場合(以下、「秘密の販売」といいます。)も含むと判断されました。
Helsinn事件での「販売」の解釈の議論は、米国の新規性喪失事由を考えるうえで、興味深いものです。以下、「販売」の解釈を含めてHelsinn事件をご紹介いたします。
2.「販売」に関する規定
米国の改正特許法(AIA:The Leahy-Smith America Invents Act:2011年9月16日大統領署名)
[原文]§102.Conditions for patentability; novelty(a) NOVELTY; PRIOR ART. – A person shall be entitled to a patent unless –(1) the claimed invention was patented, described in a printed publication, or in public use, on sale, or otherwise available to the public before the effective filing date of the claimed invention; or(2) (The following is omitted.)
[日本語訳]102条.特許要件;新規性(a) 新規性;先行技術 – 人は、以下の場合を除き、特許を受けることができる –(1) クレーム発明が、そのクレーム発明の有効出願日前に、特許され、印刷刊行物に記載され、公に使用され、販売され、又はその他の公衆に利用可能である場合;又は(2) (以下、省略)
3.Helsinn事件前の「販売」の解釈
米国において、改正特許法以前には、「販売」は統一商法典(Uniform Commercial Code;UCC)で定義された商業的販売を意味し、秘密の販売も含むと解釈されていました。
しかし、AIAの新規性の規定において「その他の公衆に利用可能である場合」(otherwise available to the public)という包括的な文言が追加されたため、この解釈に疑念が生じました。この文言は包括的規定とされているため、「販売」が「公衆に利用可能」であることが求められているのではないかという見解も提示されました。
4.Helsinn事件の背景
Helsinn社(Helsinn Healthcare S. A.)は、パロノセトロンを有効成分とする、癌化学療法による急性または遅発性の悪心・嘔吐(化学療法誘発性悪心嘔吐)の予防・治療に用いられる薬剤の製造会社です。Helsinn社は、FDA(the Food and Drug Administration:食品医薬品局)にフェーズIII臨床試験を申請した後、2000年9月に、フェーズIIIの臨床試験を開始したこと、及びパロノセトロン薬剤の販売パートナーを探していることを発表しました。そして、Helsinn社は、MGI社(MGI Pharma. Inc.)との間で、薬剤の販売に関する契約を締結し、その契約についてプレスリリースしました。MGI社は、契約により薬剤の用量(投与量0.25mg及び0.75mg)について秘匿義務を負っており、プレスリリースでは薬剤の当該用量については開示されませんでした。
Helsinn社は、プレスリリースから約2年後の2003年1月30日を有効出願日とする特許(米国特許第: 8,598,219号,以下 ’219特許)を取得しました。’219特許の権利内容は、薬剤の有効成分(パロノセトロン)と用量(投与量0.25mg)とを含みます。
Teva社(Teva Pharmaceuticals USA, Inc., et. al.)は、パロノセトロンを含むジェネリック医薬品を製造する会社であり、2011年、FDAに投与量0.25mgのパロノセトロンを含むジェネリック医薬品の販売承認を求めました。
5.Helsinn事件の裁判
(1)第1審
Helsinn社は、Teva社に対して’219特許の侵害を理由に地裁(The District Court)に提訴しました。
裁判において、被告Teva社は、プレスリリースされた販売に関する契約はAIA 102条(a)(1)が規定する「販売」(on sale) に該当するものであり、’219特許は「販売による新規性の喪失」(on sale bar)により無効にされるべきであると主張しました。
地裁は、AIA下では、販売及びその申し出は発明を公衆に利用可能にさせるものであるべきところ、Helsinn社とMGI社との間の契約の公開(プレスリリース)は投与量が0.25mgであることを開示していないため、発明は、(グレースピリオドの)臨界日前に「販売」されたものではないと結論づけました。
(2)第2審
連邦巡回区控訴裁判所(CAFC:Court of Appeals for the Federal Circuit)は、地裁の判断を覆しました。すなわち、CAFCは、AIAのon sale barに該当するためには、販売の存在が公であれば、販売の中で発明の詳細が公開されている必要はないとして、Helsinn社とGUI社との間の販売に関する契約は公であるから、on sale barが適用されると結論づけました。
(3)最高裁2019年1月22日判決(139 S.Ct.628(2019))
Helsinn社は、AIAの102条の「その他の公衆に利用可能な場合」が、前の用語「販売」を、クレームされた発明を公衆に利用可能にする開示に限定して読むことを要求していると主張しました。
これに対して、最高裁は、「AIAの102条では、以前の法律で使用された正確な文言(「販売」)が保持され、新しい包括的な条項「又はその他の公衆に利用可能な場合」が追加された。」、「我々は、議会がAIAを制定した際に、「販売」の意味を変更しなかったと判断したため、発明者が発明の秘密保持義務を負う第三者へ発明品を販売することは、102条(a)に基づく先行技術として認定されると判断した。」(*A)として、CAFCの判断を支持しました。
その後、米国特許庁は、MPEP2152.02(d)に、最高裁判断の中の上記の(*A)を明記しました(Ninth Edition, Revision 10.2019, Last Revised June 2020)。
6.コメント
日本の特許法において、新規性喪失事由(公知、公用、刊行物公知等)は秘密保持義務を負わない者に知られた(又は知り得る)状態にあることと解釈されています。米国では、このような日本の解釈とは異なって、Helsinn最高裁判決のように、発明について秘密保持義務を有する者に対して発明品を販売することも新規性喪失事由に該当し得ると解釈され得ます。
日本における新規性喪失の解釈に慣れた日本の実務家としては、例えば、秘密保持義務付き販売契約を締結したことで安心してしまい、販売によって米国において新規性を喪失する危険に晒されることについて考えが及ばないといった懸念も生じ得ます。米国への出願の可能性がある場合には十分に注意する必要があります。米国の特許出願が予定されている場合には、秘密保持義務付き販売契約の有無にかかわらず販売の事実が発生してから1年以内に米国出願の有効出願日(例えば、パリ条約の優先権の基礎出願の出願日、またはこのような優先権を伴わない場合には米国で最初の出願の出願日)を確保されることをお勧めします。
また、AIAでは、先行技術としての「販売」は米国に限らず全世界における「販売」が対象となりました。「販売」が、米国国内に限らず、世界中のどの国で行われたものであっても、その「販売」の事実は、米国において新規性喪失事由となり得ることについてもご留意ください。
弁理士:橋本由佳里